Sooo Baad Revue (1975) - 山岸潤史、石田長生

若い才能と血気の火花散るぶつかり合いです。

 1. ソウル地下鉄
 2. 最後の本音
 3. ここを過ぎて悲しみの街
 4. 銀太郎
 5. 真夜中の歌姫
 6. 透明人間
 7. おおきにブルース
 8. 青洟小僧
 9. しょぼくれ あかんたれ
10. お母ちゃん俺もう出かけるで
11. What's Going On (Bonus Track)



Sooo Baad Revueの75’年の作品です。関西で既に名を馳せていた強力な顔ぶれ(パントマイマーでもある北京一(Vo)、浪花のWilson Picketこと砂川正和(Vo)、山岸潤史(G)、石田長生(G)、国府輝幸(Key)、チャールズ清水(Key)、永本忠(B)、土井正和(Dr))からなるツインヴォーカル、ツインギター、ツインキーボードの大所帯のバンドで、当時としては異例のデビュー盤の海外録音をします。後日談ではレコーディング終了時では、既に解散することが決まっていて、もう1枚のライブ盤もリリースしますが、実質的な活動はわずか1年少しでした。Funk,Soul,Blues,Jazz,Rock,Reggae,和的なもの、全てを混ぜ合わせて煮詰めたような濃い音楽で、当時の関西のトップクラスのプレイヤーが集って結成されたため、溢れる才能と血気、強すぎる個性がぶつかり合って短命のユニットで終わってしまったのでしょうか?
87年夏の六ピでの再結成のライブに行きました、満員電車ばりの混雑でした。二人のヴォーカルとエンターテインメントに溢れたステージは楽しめたものの、想像していたよりもずっとロック面が強調された山岸さんのギターがその時の自分の好みとは違っていて(同時期、ナルチョ、そうる透さんとやっていたカミナリもそうでした)中古レコードの値段の高さもあって手を出さずにいました。'99に何と1000円シリーズとしてCDが復刻され、ライブ盤ともども購入しました。今だったら、LPも2000円以内で売っています、

<ギターの聴きどころ>

レコーディングから20数年、再結成ライブから10数年の時を経て聴きました。
インストの1、リズム隊の二人はじめノリは完璧なFunkです。右のWahカッティングとRockソロが山岸さん、左のリフとBensonばりのスキャットとのユニゾンソロが石田さんと思います。
砂川さんのヴォーカルが熱い2,左右のカッティングのコンビネーションが見事です。やはりRockソロが山岸さん、スライドも交えたソロが石田さんと思います。歌詞は、考えが甘すぎる私には身につまされます。
スロウの3は北京一さんが歌います。太宰の「道化の華」の一節を引用した歌詞が印象的ですが、この曲でのサザンソウル的なバッキング、 Mike Bloomfieldを思わせるソロ(左)は石田さんでしょうか?ピアノも貫禄十分です。
4、冒頭から炸裂するFuzzギターが山岸さん,右のカッティングが石田さんでしょうか?
Mellowな5,Jazzyさも感じるソロは、作曲とヴォーカルも担当する石田さんと思います。右のバッキングも石田さん?
Funkyな6も左右のカッティングコンビネーションが聴けます。右が山岸さんでしょうか?
Bluesの7、左のアコギが石田さんで右のエレキが山岸さんでしょうか?北さんのコミカルな歌と二人のギターの絡み、全員アメリカ帰りだけあって日本人離れしています。
サザンソウルっぽい8、この曲ではバッキングもソロも石田さんと思います。
Reggae調の9、左のカッティングが石田さん、右のオブリとトリッキーなフレーズも交えたソロが山岸さんでしょう。
リズムの変化が激しい10,右のバッキングが石田さん、後半のFuzzプレイが山岸さんと思います。
ライブからのボーナストラックは、ソロも含め左が石田さん、右が山岸さんと思います。

山岸さんの初期の代表作として語られることの多い本作、フロントマンとしてヴォーカルの二人と張り合う激しいソロは山岸さんの独壇場ですが、プロデューサ的な役割で音楽面を主導し、カラーを作っていたのは石田さんと思います。邪推なのですが、石田さんの音楽センスに対する山岸さんの嫉妬、山岸さんの行動力と天衣無縫さに対する石田さんの嫉妬、そして若さがバンドを短命に終わらせる原因だったのでは?と勝手に思っています。二人の友情は変わらず、数年の時を経て、二人は何度も共演しています。

Emotional度♡♡♡♡♡
Bluesy度♡♡♡ 自分にはちょっとRock色強過ぎました
Mellow度♡♡♡♡
酒のお供度♡♡♡♡        

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Sooo Baad Revue (1975) - 山岸潤史、石田長生” に対して3件のコメントがあります。

  1. 縞梟 より:

    こんにちは。
    的外れな質問かもしれませんが、ウエスト・ロード・ブルース・バンドやソー・バッド・レヴューのブログ記事で山岸さんのことを日本のジミヘンと書いている方を散見するのですが、これは当時のライヴでかなり歪ませてギターを弾いていたからなのでしょうか?
    山岸さんの演奏を一通り聴いてジミヘンっぽいと全く思わなかったので、なにが山岸さんをジミヘンとだぶらせるのか疑問に思い質問してみました。

    1. domon@guitar より:

      こんにちは。いや〜困りました。私は逆にジミヘンはLittle Wingくらいしか聴いていないので比べることができず、従い
      お答えできることがないのです。
      すみません・・・・。
      ジミヘンのコピーバンドとして結成したらしいカミナリ(ベースはナルちょさん、ドラムは照夫さんではなくトラでそうる透さんでした)も
      どんな内容か知らずに池袋のイシバシ楽器のイベントで最前列でみましたが、轟音に耐えられず1曲聴いて退席してしまいました。
      少し前、渋谷店のイベントでチキンシャックを見て、山岸さんのプレイが観れると期待して入ったのですが、自分の好みとは合いませんでした)
      ただ、山岸さん自身はジミヘンの大ファンで、'83年のギターマガジンの記事では深い敬愛を示しており、音楽性、サウンド、感性
      生き方までを賞賛し「祟られたい」とまで書いていますので、大きな影響を受けたことは間違い無いかと思います。
      80年代後半のWestroad再結成後のステージでもホトケさんに「今日は歯で弾かんのか、ジミヘン君」と煽られていましたが、
      「今、歯直してる(治療してる)最中で弾けんのよ」とレスポンスしていました。
      この時も高円寺次郎吉で、運よく最前列で山岸さんの真ん前に陣取ることができましたが、開園時に、ホトケさんから「にいちゃん、耳栓持ってきたか?
      山岸君の爆音で難聴にならんよう気を付けてな」と声をかけられました。確かに、First Time I Met The Bluesなど、ソロが回ってくると
      伸ちゃんの三倍ぐらいの爆音&長さ(5コーラスぐらい弾いていた?)で、店を出た後しばらく耳鳴りしていました。余談ですみません。

      DupreeやGaleもブレイク前のジミヘンのプレイをべた褒めしているので、R&Bギタリストとしても突出していたギタリストだったのでしょうか?
      今更ですが、機会があればジミヘンを聞いてみたいと思います。

  2. 縞梟 より:

    こんにちは。
    丁寧な説明ありがとうございます。
    カミナリというバンドがあったんですか。
    退席されたとのことですが面子的に多分、私向きのバンドだったんだろうなと(笑)

    当然ながら山岸さん世代のギタリストはジミヘンに大きな影響を受けているでしょうから
    サウンドにそれなりの影響が出ると思うのですが、例えば世界三大ジミヘン馬鹿の
    ロビン・トロワー、フランク・マリノ、ウリ・ジョン・ロートみたいにモロにジミヘンみたいな曲を
    アルバムに残さなかったのは、変なイメージがつくのを嫌ったからかもしれませんね。
    前述の世界三大ジミヘン馬鹿は後年、ジミヘンのイメージを払拭するのに相当苦労しましたから。

    ジミヘンがR&Bギタリストとして突出していたか?というとそうは思いませんが
    それでもあの時代、世界中の若者にエレキギターに興味を持たせた功績は大きいと思います。

    ジミヘンで何か1枚お勧めしたいのですが、ジミヘンは歪ますからねえ~(笑)
    強いてお勧めするならコンピ盤ですが、その名も「ブルース」というのがありますので
    ご参考まで(中古で500円ぐらいで購入できます)

    http://musicnightwhisper.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

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